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Thursday, February 01, 2001

Topic of the Month 2001年2月

2月のトピック
~ミニシリーズ~
あるソーパーの心覚え
今回は調べて考察してまとめた情報ではなく、なんとなく書いたエッセイです。
つまらないかもしれないし、おもしろいかもしれない。
どちらになるか、まずは読んでみてください。

はじめに・・・
石けん作りを始めると、石けん作りって石けんを作るだけじゃないんだな~と思うことがあります。石けんという物を通して、また石け ん作りというプロセスを通して、自分がどういう人間でどういう状態なのかが見えてきたりします。今月のトピックでは、私が石けん作 りを始めてから今日までを振り返り、技術や知識以外の面で自分が感じたり納得したりしたことを書いてみることにしました。引用句と 合わせてお届けする「あるソーパーの心覚え」、皆さんにも自分を見つめる道具のように使ってもらったらなーと思います。
引用句はただの個人的な趣味です~。

1. Know thyself. - Socrates
石けん作りを始めて、何を失ったってまず「自分」を失ってしまった。石けん作りはすごく楽しい。そして「ハマる」。興味があるととことんのめり込む私は、寝ても冷めても石鹸・セッケン・せっけん・・・。ここまでなら無害だが、問題は宗教のようになってしまったことだった。自作の石鹸を知人や家族に送り付け、数年間音沙汰が無い人にもいきなりフレンドリーに「自然石けん作ってます。どう?送るよ?」とメールを打つ。ありがたがってくれる人は世界で一番の仲良し気分、何のコメントもない人や文句を言う人がいると、激しい悲しみや怒りさえも湧くことがあった。特に石けんに関して理解の無い発言を聞くと、普段は比較的無口な私がまくしたてて議論した。ハリウッド映画のようにヒーローと悪者がはっきりわかれた。ヒーローは石けん、悪者は洗剤。ヒーローは自然、悪者は合成。善と悪、白と黒で何でもカタを付けようとする自分がいた。あの頃はきっと目がイカレてたにちがいない。
そして本やホームページ、メーリングリストなどかたっぱしから情報を得ようとした。好きで好きで全部知りたい!という若い子の恋心だったのだ。石けん作りの奥深さに魅了され、知らないことが恐くなった。知らないことが不安だった。自分にとって今大切な情報は何か、この情報は正しいのか、そんなことを考えもせずにどんどん情報を集めた。考えることをせずただ情報を集める。それは昆虫採集だった。標本を作って喜ぶことで勉強した気になっていた。考えることをしないため情報を集めれば集めるほど混乱し、更に自分を見失った。
唯一抑制ができたのは「作りたい願望」だった。作りたい!という欲求に支配され、消費できるはずもない膨大な石けんをかかえることはなかった。普段からのストイックな貧乏生活が欲求をうまく抑制してくれたらしい。石けん作りは週に1度のご褒美。一番大切な時間だった。でもその神聖さが返って宗教心を駆り立ててしまったようだ。
もしタイムマシンがあるなら、石けん作りを始めた当時の自分のところに行ってみたい。そして「目を覚ませぇ~!」と言ってみたい。 それが全く無駄なくらい熱をあげていたのを知っているけど。


2. Do not judge a book by its cover.- proverb
外見にこだわる自分がいた。色やカットの直線具合をやけに気にする自分がいた。かわいく仕上げることや「本物(=売り物)」っぽく仕上げることにこだわる自分がいた。使い心地を追及せずにラッピングばかりこだわっていた頃があった。だけど手作りってなんだろう、手作り石けんの良さってなんだろう。そう思うようになったのはいつ頃だったかなー。ちょっと崩れた角が不格好な石けん。それは縦X横X幅がグラフ用紙みたいに正確な石けんよりも暖かい。自分は何に近づこうとしていたんだろう。機械で大量生産してる石けんを真似ようとしてた自分がはずかしくなった。そう気付いてから、ひとつひとつの石けんがすごーくかわいくなった。どれを見たって私の石けんは世界にふたつとないものばかり。見かけは素朴で飾らない、はっきり言ってそんなに器量も良くないかもしれない。だけど中味は一生懸命で真面目でいいやつなんですよ~。どうぞかわいがってくださいね~。そう言いたくなった。そういう石けんを作り始めた。不器用だからきれいになんか作れない。不細工でも正直なものを目指した。そしてやっと石けんに自分らしさが出てきた。


3. To be or not to be? That's the question. - William Shakespeare
石けん作りを始めた頃はナチュラリストに刺激され、徹底的に植物にこだわった。自然=植物なんかじゃないのに何か勘違いをしていた。そのためか植物オンリーと得意げに言う自分には罪悪感が伴った。何かに対して後ろめたいと思う気持ちがあって、それが心すみっこにいつもあった。それはなんだろう。中途半端な私のナチュラリズムによって無駄につぶされていった植物だろうか。植物を理解せずに、正しく使うことも学ばずに、ただ植物だというだけで乱用していた罪悪感か。一年草なのか、絶滅の危機にさらされているのか、そんなことを考えもせずにハーブだのエッセンシャルオイルだのと言っていた。後から古い文献を読むようになったとき、昔の人が植物や動物をどんな風に利用していたかを理解した。例えば花びらで香りを付けたラードのハンドクリームのように、動物だって植物だって無駄のないように無理のないように使ってたんだなぁ。それはカッコよくないかもしれない。お洒落じゃないかもしれない。だけど、カッコいいとかお洒落とか、そんなことを気にするのはすごくカッコわるいと思うようになった。ソーパーの中には徹底したナチュラル派もいる。きっと生活もきっちりを信念に基づいているにちがいない。だけど私はeclecticでいい。植物も動物も。あっちもこっちも。バランスよくいい所をもらって作っていきたいと思うようになった。そうしたら、後ろめたさがなくなったよ。なんだか不思議な話しだけど。


4. Let it be. - The Beatles
手作り石けんはかわいい。自分のならなおさらだ。ぐるぐる撹拌してトレース出して、型に入れて大切に毛布でくるむ。だけど寝かせ付けた後もどうも気になる。私の石けん達はちゃんと寝ているかな?それとも何かのトラブルで苦しんでいないかな?何度も毛布をはずして中味を見たら温度をうーんと下げてしまった。失敗でもないのにやたらにリバッチしてボソボソで変な香りの石けんにしてしまった。石けんは本当はおとなしく寝ていたいんじゃないかな?人間だってそうだ。一生懸命自分の中ですることが多いときは、放っておいてもらいたい。それを干渉されて、やたらに熱を加えられたり水を加えられたりしたんじゃたまらない。石けんは鹸化がしたいのだ。乾燥したいのだ。干渉されずに自分の力で。過保護になってかわいがってると思ったのは、私の余計なおせっかいだった。勘違いの愛情をそそげばそそぐほど、石けんの姿はみすぼらしくなった。石けんは石けんらしさを失った。私は自分で自分のことをするのが好きだ。そんな自分から生まれる石けんもきっと同じにちがいない。暖かく見守るって、一番素敵な愛情だと思う。自分や自分から生まれたものを信用して、じっと見守る。


5. I can't get no satisfaction. - The Rolling Stones
石けんは完璧な存在だと思った。石けんを使うことで地球が救えるなんて思ってた。完全なものや真実を外に求めようとしたのだ。だけど外に完璧さを求めるときは、自分の内の欠点を認められないときだ。だから無理が出てきた。満足感や喜びを得る前に悪いところばかりが目に付くようになった。何をしたって満足がいかない。こんなはずじゃない、そう思って困惑した。そこで視点を変えてみた。もしかして完璧を求める自分の期待そのものが違うんじゃないかと、根本的なことを疑ってみた。そして石けんの欠点を認めると同時に、自分の認めたくなかった部分を受け入れた。欠点をどう補い、どう改善させ、どう付き合っていくのかを考えるようになった。不完全なも のを受け入れ、そこに柔軟に対応できる頭を持つことが大切だと気付いた。だから今は本当に石けんが好きです。ちょっと不器用なところも、すごく素直なところも。


6. I have a dream. - Martin Luther King Jr.
夢。それは石けん作りを広めること。これは手作り石けんを始めて手にした日から、ぼんやりと心で感じていたことだ。世界中に石けん作りを広めようなどという大きな野望は全くない。自分が出会う人達に、自分が感じる幸せを感じてもらえればいいな。そんな謙虚な気持ちだ。だから今は夢の始まりであり、夢の途中であり、夢の達成地点でもある。出会いの分だけ夢があるから、結構うれしい夢かもしれないね。


7. Life is like a box of chocolate. You never know what you gonna get. - Forrest Gump
現在石けんを作っているのは、人生の計画がボロボロにくずれたためだ。混乱を繰り返し落ちるとこまで落ち、石けん作りに出会った。だからと言って別に不幸をバネにして好転したワケじゃない。ただ行くところ行くところには何かがあるだけだ。そしてその何かは全く予期せぬことだったり、highのときもあればlowのときもある。だから私は大好きな石けん作りに執着はない。死ぬまでこれをしよう!これぞライフワーク!なんてワザワザ自分に言い聞かせたりしない。そんなふうにして自分を縛る必要はない。今日石けんを作り、石けんの楽しさを語り、それでご飯を食べて寝る、それで十分。(おっと、お風呂タイムもね!)変な使命感に燃えてた時もあった。だけどそれは自分を縛り付けるための言い訳だと気付いた。明日は本当にどうなるかわからない(と ても実感している)。明日に期待するより、今日いっぱい楽しんぢゃう。辛いことがあったら、今日その辛さを味わう。この先ずっと辛いのかしら?なんて考えない。そういう気持ちで暮らしていると、石けん作り一回一回が真剣勝負みたいでおもしろいよ。別にギャンブラーって訳じゃないけど(笑)

終わりに・・・
さ、つまらなかったかな?おもしろかったかな?
やや捨て身で自分のことを書きました。はずかしいよう~。自分の経験から得た自分のためのものなので、これが究極の真実では決してありません。(エッセイだからね、エッセイ!)でもこれがいつかどこかで何かのお役に立てればなぁと思います~。