アメリカに住んで15年もたってしまいました。
まさかアメリカに住むことになるなんて・・というのがスタートでしたから、来たばかりのときは何をしていいのかさっぱりわかりませんでした。当時は、石けんを作るようになるとは思っていなかったし、それが仕事になるなんて全く想像していませんでした。猫を飼い、たおという名前をつけ、それが自分の名前になってしまうとは夢にも思いませんでした。その後、ボストンからニューヨークへ引っ越したのですが、そのときも「まさかニューヨークに住むことになるなんて」と思いました。私は大学時代をカナダのバンクーバーで過ごし、大自然の中の暮らしに魅了され、ここを終の住処にしようと思っていました。その対極にある大都会、特にニューヨークなどという街にはきっと一度も行くことはないだろう、なんてことを考えたりしてたのです。それがいつの間にかニューヨーク在住です。なんだかんだで10年以上です。カナディアンロッキーもない、rain forestもない、メープルリーフのピンバッジも見かけない、loonieも使えない、eh?も聞こえない場所で、まさかの15年です。
思い返すと、アメリカ暮らしは予想もしなかった出来事の連続でした。計画なんてあって無いも同じ。まさか!まさか!の連続でした。思い通りに行かない自分の人生、理想にまったく近づけない自分の暮らし。行き詰まりを感じることもたくさんありました。でもそういう出来事があったからこそ、今の自分があるんですよね。スティーブ・ジョブズ氏も言っていましたが、振り返ってみると、すべての点がつながって、今していることに役立っている。本当にそう思います。
まさかのアメリカ暮らしも2月の末で終わりです。3月からは京都で暮らし始めます。暑さと湿気が大の苦手で、「京都の夏だけは絶対に無理!」とよく言ってたのに、まさかの京都へ引っ越しです。またしても、自分がまったく住むことを予想していなかった場所で暮らすことになりました。でも15年のアメリカ暮らしで鍛えた柔軟性と適応性を信じて、なんとかやっていこうと思います。不安がないと言えば嘘になりますが、反面なんとかなっちゃうような気もします。まあ行ってみないとわかりませんが。
石けん講座はこれからも続けていきます。すでに定期開催が決まっている講座もあり,近いうちにお知らせができると思います。また、これまで通りに年に一度のお楽しみの講座も各地で開催される予定です。募集告知の準備ができたものから、ブログやツイッター、フェイスブックでお知らせしていきますね。もし主催をご希望の方はいつでもメールをください。taosoap*gmail.comです(*を@に変えてください)。どこでも行きますよ〜。
日本に帰ったら、おいしいカレーパンを探すのがミッションです!ここのカレーパンはおいしい!というおすすめがありましたら、ぜひお知らせください。日本全国、どこでも結構です!
Tuesday, January 24, 2012
Thursday, January 12, 2012
パスタポット
年に一度の材料整理。年末にするはずだったのが年明けになってしまいました。使い切りたい材料を棚から引っ張り出して、せっせと石けんを作っています。多めに余っていた小豆の粉末は、一度に使い切るため4キロ弱のバッチサイズで。撹拌に使うのは大きなパスタポットです。昔、キッチン用品屋さんで買ったもので、フタの無いワケ有り品として安く売られていました。パスタを茹でるにはフタが無いと困るけれど、石けん作りにはフタは要りません。まさに石けん用の鍋!とうれしくなって買ったのを覚えています。このパスタポットに限らず、私の使っている石けん鍋は、フタが無かったり、取っ手がひとつ取れていたり、形がゆがんでいたり。どれも一癖あるものばかりです。でも馴染んでしまうと、その癖がすごくしっくりくるから不思議です。
余った材料を消費したあとは、使い込まれた道具に感謝の気持ちを込めて手入れをします。
小豆の入った石けん生地、撹拌中。
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石けん話し
Thursday, January 05, 2012
2012年の石けん作り
新しい年になりましたね。なんだか時間の過ぎるのが早くて、1週間がやけに長かった子供のころが懐かしいです。
石けんを作るようになってから、毎年新しい年になると「今年はどんなふうに石けん作りをして行きたいか」と考えるようになりました。それは以前だったら、自分のスタンスだったり、こだわりだったり、アイディアを実際にどういう形にしていくかというプランだったり。抱負を考え、決めて、それを一年かけて実行していくのです。目標があったからこそ達成できたこともたくさんありました。しかし、目標が枷になってしまったこともありました。そうなると身動きが取れなくなって、楽しいはずのことが苦しくなってしまったりね。結局、次第に抱負を持たない年も多くなってきました。今年もこれと言って抱負がありません。目的がないわけでも、やりたいことがないわけでもありません。でも新年という区切りとか、抱負という目標の立て方が、今の私にはあてはまらないのかもしれません。
石けん作りに限りませんが、何でもしばらく続けていると、うまくいったり、いかなかったり、模索したり、ひらめいたり、そのときそのときで違います。新年の抱負がよい原動力になる年もあれば、ストレスや挫折感の理由になってしまうことも。困難が乗り越えられるときもあれば、あきらめるしかないときもある。月並みだけど、島倉千代子みたいだけど、人生いろいろだなーって本当に思います。
状況もどんどん変わる、自分もどんどん変わる、価値観もどんどん変わる。そして変化の仕方もいろいろです。常に変わりゆく流れの中で、流れに乗りながら、流されないように流れていく。石けん作りに関しては、そんなふうにできたらいちばんいいなあと思っています。流れに乗るためには柔軟性が、流されないためには芯を持つことが必要です。私にとって柔軟性とはこだわりがないことです。素材のこだわり、作り方のこだわり、レシピのこだわり、スタンスのこだわり・・石けん作りの自由さや可能性を狭めてしまうようなこだわりを持たないようにしています。私の中にある芯とは、石けん作りに対する好奇心、つまりもっと石けん作りについて知りたいという気持ち、そして楽しさを分かち合いたいという気持ちです。このふたつは、石けん作りを始めた日から今の今までまったく変わらない部分です。芯を持ちつつ、変化に柔軟に対応するよう努めると、多少のアップやダウンを体験しても、なんとか続けていかれるように思います。
昨年は、自分の石けん作りを模索された方も多かったのではないでしょうか。苦しんだり悩んだり、急激な変化にとまどったり,迷った方もいるのではないかと思います。人の考えはさまざまで私が何を言える立場でもありませんが、柔軟になることをおそれずに、ご自身のうちにある芯を信じて、石けん作りを続けていってほしいと思います。
喪中につき、新年のご挨拶を控えさせていただきました。このブログを読んでくださるみなさまにとって、健やかな一年となりますことを心よりお祈り申し上げます。
石けんを作るようになってから、毎年新しい年になると「今年はどんなふうに石けん作りをして行きたいか」と考えるようになりました。それは以前だったら、自分のスタンスだったり、こだわりだったり、アイディアを実際にどういう形にしていくかというプランだったり。抱負を考え、決めて、それを一年かけて実行していくのです。目標があったからこそ達成できたこともたくさんありました。しかし、目標が枷になってしまったこともありました。そうなると身動きが取れなくなって、楽しいはずのことが苦しくなってしまったりね。結局、次第に抱負を持たない年も多くなってきました。今年もこれと言って抱負がありません。目的がないわけでも、やりたいことがないわけでもありません。でも新年という区切りとか、抱負という目標の立て方が、今の私にはあてはまらないのかもしれません。
石けん作りに限りませんが、何でもしばらく続けていると、うまくいったり、いかなかったり、模索したり、ひらめいたり、そのときそのときで違います。新年の抱負がよい原動力になる年もあれば、ストレスや挫折感の理由になってしまうことも。困難が乗り越えられるときもあれば、あきらめるしかないときもある。月並みだけど、島倉千代子みたいだけど、人生いろいろだなーって本当に思います。
状況もどんどん変わる、自分もどんどん変わる、価値観もどんどん変わる。そして変化の仕方もいろいろです。常に変わりゆく流れの中で、流れに乗りながら、流されないように流れていく。石けん作りに関しては、そんなふうにできたらいちばんいいなあと思っています。流れに乗るためには柔軟性が、流されないためには芯を持つことが必要です。私にとって柔軟性とはこだわりがないことです。素材のこだわり、作り方のこだわり、レシピのこだわり、スタンスのこだわり・・石けん作りの自由さや可能性を狭めてしまうようなこだわりを持たないようにしています。私の中にある芯とは、石けん作りに対する好奇心、つまりもっと石けん作りについて知りたいという気持ち、そして楽しさを分かち合いたいという気持ちです。このふたつは、石けん作りを始めた日から今の今までまったく変わらない部分です。芯を持ちつつ、変化に柔軟に対応するよう努めると、多少のアップやダウンを体験しても、なんとか続けていかれるように思います。
昨年は、自分の石けん作りを模索された方も多かったのではないでしょうか。苦しんだり悩んだり、急激な変化にとまどったり,迷った方もいるのではないかと思います。人の考えはさまざまで私が何を言える立場でもありませんが、柔軟になることをおそれずに、ご自身のうちにある芯を信じて、石けん作りを続けていってほしいと思います。
喪中につき、新年のご挨拶を控えさせていただきました。このブログを読んでくださるみなさまにとって、健やかな一年となりますことを心よりお祈り申し上げます。
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石けん話し
Monday, November 28, 2011
ストレス解消
怒ったところを見たことがないとか、ストレスがあるように見えないとか、たまに言われます。そんなことあるわけがありません。ニューヨークとストレスはほぼ同意語です。ぼーっとしてるように見えるかもしれませんが、ちゃんと日常的にイライラしてます。でもイライラが世間の目に晒される前に、ちゃんと自分でどうにかしようと努力します。ストレス解消です。何をするかというと、夢中になって何かを作る!これにつきます。石けんは気持ちの整ったときだけに作りたいので、ストレス解消には作りませんが、それ以外のこと・・料理、裁縫、工作、レゴ、いろいろ作ります。とにかく手先に集中し、黙々と何かを作る。没頭すればするほど雑念が消え、気分もすっきりします。
ストレスが多いと生産性も高いです。この秋はなんと最高の生産量に!(笑)
イライラは嫌だけど、忙しい合間をぬって何かを作るのは楽しいものです。たとえ5分の息抜きでも、楽しい気分はその後も持続しますからね。いろいろ作りましたが、その中でいちばん楽しかったのはこれです。
野菜のパッチワークキルト。Purl SoHoというショップに売っていたキットです。アイロンをかけてないのでしわくちゃですが、簡単にかわいい作品ができるので楽しかったです。仕上がったときには、野菜を育てあげたような充実感。苗からではなく布から,立派に成長した根菜類です。
ストレスが多いと生産性も高いです。この秋はなんと最高の生産量に!(笑)
イライラは嫌だけど、忙しい合間をぬって何かを作るのは楽しいものです。たとえ5分の息抜きでも、楽しい気分はその後も持続しますからね。いろいろ作りましたが、その中でいちばん楽しかったのはこれです。
野菜のパッチワークキルト。Purl SoHoというショップに売っていたキットです。アイロンをかけてないのでしわくちゃですが、簡単にかわいい作品ができるので楽しかったです。仕上がったときには、野菜を育てあげたような充実感。苗からではなく布から,立派に成長した根菜類です。
Friday, November 18, 2011
丁寧に作る
ずっと忙しくしてました。今日でようやく一段落です。
忙しいながらも充実した時間を過ごしたあとは、休息もまた楽しいですね。
ここしばらく頭の中で浮かんでは消え、消えては浮かんでいたことがあったので、今日はそれを書いてみます。
石けん作りを始めると、最初はきっちりとマニュアル通りに作ろうと努力します。私も始めの頃は教えられた通りに作っていました。それが経験を重ねるにつれて、手を抜くところがわかったり、手の抜き具合がわかったりしてきます。 例えば、私の場合は温度計で温度をはからなくなったのがひとつ。最初のうちは苛性ソーダ水とオイルを何度にきっちり合わせて・・とやっていたのですが、次第に温度計を使わなくなりました。今は手で鍋の外側を触りながら、感覚で温度の判断をしています。既成の手順の上では、温度計を使わないってかなりの手抜きだと思います。でもそれは本当に手抜きでしょうか。私はむしろ逆だと思っています。
講座で温度計を使わないとびっくりされることがよくあります。触って温度をみているので、手で「これは45度」などと目安をつけられると思われているのかもしれません。確かにざっくりとはわかるけれど、実のところ細かく何度なんてわかりません(笑)
それどころか、私はそれほど温度を見ているわけではないんです。みているのは素材や生地の状態。手を鍋底や苛性ソーダ水の容器に触れることで、温かさがわかります。でもその温度が大切なのではなく、その温度のときの素材は一体どうなっているかを見ているんです。ぱっと見るだけで素材や石けん生地の状態がわかれば、手で触ってみる必要はありません。石けん生地はある程度、目でみると状態がわかるので、手で鍋底を触らないこともあります。でもオイルや苛性ソーダ水に関しては、そこまではわからないので、ひとまず手で触ってから状態を見ているわけです。
温度計を使うということは目を使うことだから、だったら温度計の数値を目で見て、それから素材や生地の状態を見たらいいんじゃないの?と思うかもしれません。でも温度計って数字です。数字は客観的すぎるんです。例えば摂氏40度という数字には「熱い」とか「冷たい」がないんですよ。40度は40度。それだけです。寒い日でも暑い日でも40度は40度。何も違いがないんです。これこそ科学の便利さではあるのですが、石けん素材や生地にとって寒い日の40度と暑い日の40度はぜんぜん違うんです。手で鍋底を触ってみれば、温かいとか冷たいという感覚がともないます。講座では「これがお風呂だったら入れるかな〜と考えながら触る」という説明をよくします。それはなぜかと言うと、寒い日と暑い日のお風呂のぬくぬく加減って温度計の数字にしてみるとかなり違うと思うんです。でも「ちょうどいい」と思う感覚、ピンと来るところはひとつなんです。
温度計を使わないと私が言うと、温度はいい加減でも石けんになるんだ〜とほっとされる方も多くいます。確かにそれも当たっています。どんな温度でも石けんになりますからね。でも温度計を使わないこと自体は、手抜きではないんです。温度計の数字に振り回されて肝心の生地の状態に意識が届かないのはもったいないこと。だったら手で温度を知り、目で生地を見た方が、自分で作っているものがよく見えます。始めはコツがつかめなくても、続けていれば次第に感覚が養われてきます。温度計を使わずに、自分の感覚で素材や生地の状態を判断することは、実はものすごく丁寧な作り方なんじゃないかと思います。
忙しいながらも充実した時間を過ごしたあとは、休息もまた楽しいですね。
ここしばらく頭の中で浮かんでは消え、消えては浮かんでいたことがあったので、今日はそれを書いてみます。
石けん作りを始めると、最初はきっちりとマニュアル通りに作ろうと努力します。私も始めの頃は教えられた通りに作っていました。それが経験を重ねるにつれて、手を抜くところがわかったり、手の抜き具合がわかったりしてきます。 例えば、私の場合は温度計で温度をはからなくなったのがひとつ。最初のうちは苛性ソーダ水とオイルを何度にきっちり合わせて・・とやっていたのですが、次第に温度計を使わなくなりました。今は手で鍋の外側を触りながら、感覚で温度の判断をしています。既成の手順の上では、温度計を使わないってかなりの手抜きだと思います。でもそれは本当に手抜きでしょうか。私はむしろ逆だと思っています。
講座で温度計を使わないとびっくりされることがよくあります。触って温度をみているので、手で「これは45度」などと目安をつけられると思われているのかもしれません。確かにざっくりとはわかるけれど、実のところ細かく何度なんてわかりません(笑)
それどころか、私はそれほど温度を見ているわけではないんです。みているのは素材や生地の状態。手を鍋底や苛性ソーダ水の容器に触れることで、温かさがわかります。でもその温度が大切なのではなく、その温度のときの素材は一体どうなっているかを見ているんです。ぱっと見るだけで素材や石けん生地の状態がわかれば、手で触ってみる必要はありません。石けん生地はある程度、目でみると状態がわかるので、手で鍋底を触らないこともあります。でもオイルや苛性ソーダ水に関しては、そこまではわからないので、ひとまず手で触ってから状態を見ているわけです。
温度計を使うということは目を使うことだから、だったら温度計の数値を目で見て、それから素材や生地の状態を見たらいいんじゃないの?と思うかもしれません。でも温度計って数字です。数字は客観的すぎるんです。例えば摂氏40度という数字には「熱い」とか「冷たい」がないんですよ。40度は40度。それだけです。寒い日でも暑い日でも40度は40度。何も違いがないんです。これこそ科学の便利さではあるのですが、石けん素材や生地にとって寒い日の40度と暑い日の40度はぜんぜん違うんです。手で鍋底を触ってみれば、温かいとか冷たいという感覚がともないます。講座では「これがお風呂だったら入れるかな〜と考えながら触る」という説明をよくします。それはなぜかと言うと、寒い日と暑い日のお風呂のぬくぬく加減って温度計の数字にしてみるとかなり違うと思うんです。でも「ちょうどいい」と思う感覚、ピンと来るところはひとつなんです。
温度計を使わないと私が言うと、温度はいい加減でも石けんになるんだ〜とほっとされる方も多くいます。確かにそれも当たっています。どんな温度でも石けんになりますからね。でも温度計を使わないこと自体は、手抜きではないんです。温度計の数字に振り回されて肝心の生地の状態に意識が届かないのはもったいないこと。だったら手で温度を知り、目で生地を見た方が、自分で作っているものがよく見えます。始めはコツがつかめなくても、続けていれば次第に感覚が養われてきます。温度計を使わずに、自分の感覚で素材や生地の状態を判断することは、実はものすごく丁寧な作り方なんじゃないかと思います。
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石けん話し
Friday, October 28, 2011
「ダイアログ」マーブル模様の話(5)
<第5回>
(た)なるほど〜。お話を伺っていると、ままさんは1バッチ1バッチ、真剣に向かい合って作っているように思います。石けん作りのアプローチが職人的ですよね。ままさんから語られる石けん作りへのこだわりや思いを伺うと、法隆寺の復興を果たした最後の宮大工と呼ばれる西岡常一氏の言葉を思い出します。「木のいのち木のこころ」(新潮文庫)という本の中で、西岡氏は薬師寺の再建に使われた樹齢二千年の木の素晴らしさについて話すのですが、次のように語っているんです。
こういう木の感触は言葉では伝えようがありませんな。実際に見て、触って、感じて覚えていかななりません。技術というもんは腕だけやなくて培われた勘や感覚に支えられているんですやろな。
「木」という言葉を「生地」に置き換えると、ままさんが言ってるみたいでしょう?
まだまだお話を伺いたいところですが、ダイアログもそろそろ終盤となってきました。また別の機会に、物を作るというテーマでお話を伺えたらと思います。何か企画を立ち上げたときは、ぜひご協力お願いいたします。
最後にブログの読者の方にメッセージやアドバイスがあればぜひお願いします。これだけは言いたい!みたいな主張でもいいですよ。
(ま)
ああ、たおさん!
西岡常一さんは私のとても尊敬する方々の一人です!。棟梁の話を私に置き換えてくださるのは嬉しいですが、恐れ多いな~。
前職で薬師寺や法隆寺の取材に行ったことがあるのですが、その建築の柱一本にも熱というのかな、語るものがあるんですよね。大陸から伝わった方法をうのみにしないで、日本の風土にそわせてでき上がった様式であったり、一本一本の木が生きて生えている時と同じ方位に使われているとか、木のくせを知ったうえで、適材適所に利用するとか(人間社会のよう)。紙に書いた建築方法を理解できているだけでは成しえない生きたモノづくりですね。
取材の時は私のほかにも何人もいるわけですが、ず~っとボ~っと眺めたくて、後日一人で何度か出かけましたよ。
「企画に合わせて形だけ整えるのもは誰でもできるが、素材を知ること、道具を知ること、作りあげながらそれと会話をすることで、仕上がったものはその言葉を人の気持ちに伝え続けるとおもう。金儲けを考えたら棟梁なんてやってられまへんわ。」この言葉も好き。笑
わたしは、石けんというのは一つの形であるけれど、大事にしたいのは気持ちだとおもいます。自分の手から生み出されるものから受ける感動や 愛着や、そのレスポンスがたまっていく楽しみを感じてほしいです。
手づくり品でもなんでもお金で買ってしまう時代だけど、マニアックに作って、大事に使ってみるといろいろ発見できるんだよ~自分で作ってみなよ、っていうそんなかんじ。
気持ちへのサプリメントが足りない時代なので、石けんがきっかけになればいいとおもいます。
(た)「くせを知ったうえで、適材適所に利用する」は石けん作りの素材にも言えますよね。
大事にしたいのは気持ち、というままさんの言葉もすごくうなずけます。私も、石けんそのものもそうですが、石けんを通して見えてくるものにすごく興味があるんです。今回はマーブル模様がテーマではあったけれど、そこからどんどん話しが広がって本当に楽しく勉強になりました。きっと第二弾を切望されるブログ読者の方も多いのではないかと思います。また機会があればよろしくお願いします。いつかままさんの石けん教室、行ってみたいです〜。
今回は本当にどうもありがとうございました!
(ま)そうですね。石けんってその後ろにものすごい世界が広がっていますよね。作りっぱなしではなく、その背景にあるもの、見つかるもの、ひろがるものを大事にしたいです。
たおさんと前に「みんなが石けんを作れるようになることが理想ですね。」ってお話をしましたよね。そうなるといいな~。
今度一緒に、シャボネーゼの会やりましょうね♪
このダイアログ、たおさんからお話をいただいてドキドキでしたが、なにか感じていただけたら嬉しいです。
素敵な経験をさせていただいてありがとうございました。
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しゃぼんままさんのプロフィール
京都府宇治市在住。CS講師の経験とハーブ、アロマ、ラッピングの資格をベースに、“手づくる気持ちへのお手伝い・手づくる楽しみを手から手へ伝承すること”をコンセプトに石けん教室などを開催。自宅の庭は約50種類のハーブガーデン。
植物の専門家が集う地元商工会議所の取り組みでのハーブ塾でも、畑での栽培から研究・活用を模索中。
石けん作りの日々をつづるブログ『@まいほーむ』http://syabonmama.jugem.jp/ はアクセス50万を超えました。
メインサイト『しゃぼんmama』 http://syabonmama.okoshi-yasu.com/
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しゃぼんままさんのプロフィール
京都府宇治市在住。CS講師の経験とハーブ、アロマ、ラッピングの資格をベースに、“手づくる気持ちへのお手伝い・手づくる楽しみを手から手へ伝承すること”をコンセプトに石けん教室などを開催。自宅の庭は約50種類のハーブガーデン。
植物の専門家が集う地元商工会議所の取り組みでのハーブ塾でも、畑での栽培から研究・活用を模索中。
石けん作りの日々をつづるブログ『@まいほーむ』http://syabonmama.jugem.jp/ はアクセス50万を超えました。
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ダイアログ
Wednesday, October 26, 2011
「ダイアログ」マーブル模様の話(4)
<第4回>
(た)例えばままさんは、「こんな模様にするにはこんな感じで」というふうに、出すべき模様とするべき手順をつなげて考えることができると思うのですが、そういう訓練というかイメージトレーニングってどうやったらできるようになると思いますか?「ままさんみたいなマーブルを作りたい」と思っている人達の中には、どうしたらああいう模様が出るのかわからない、と思っている人もたくさんいると思うんです。つまり模様と手順が一致しない、とでもいうのかな。イメージして作ってみても、まったく違う模様ができてしまったり。マーブルの流れをイメージするために、役立つことって何かあると思いますか?もちろん、ままさんの教室に参加するのがいちばんだと思うのですが、それ以外にアドバイスがあればお願いします。
(ま)イメージができるというのは、偉そうに言っちゃいますが・・(汗)
勘もあると思いますが、経験によってつくられると思います。
でも、その経験というのは、とりあえずたくさん作るという意味ではないです!
いろんな一つ一つを作る時の、マニアックな観察(笑) の積み重ねだとおもいます。
観察は作るときだけに限らずです。
私は石けんはカットしたら必ず一個はずっと使わずにとっておきます。
あ、もう使わなきゃヤバい! ってくらいまで。
家の中の環境でどういう変化を見せるのか知りたいからです。
作った石けんはじっくり使うでしょ?500gバッチで作ると、一個目と最後では期間があくので使用感が違う、そういう観察も大事だとおもいます。石けんの使用期限1年には疑問ありですね。物珍しさで作ったレシピは、1年まったくもたず、あっという間に酸化するものもありますし、かと思えば4年たっても、きれいなままの石けんもあります。
そう言う観察もだし、おっしゃるマーブルもおなじで
できなかったら、ああ失敗 よし次! ではなくて
できなかった理由を知ることが好きでいる方が良いとおもいます。
できなかったものをよく見て、じゃあこうすればきっとできたな、
って答えをあつめておきます。
作る時も、個体の個性ごとにすごく 観ます。
たとえば、型入れの時、お玉などの道具は使わないでボールから直接流し入れます。(あらいものが嫌いだから・笑)
その時に、モールドに落ちていくタネがどういう動きをするのか
先に入っているタネとボールから落ちたタネが出会ったときにどういう動きをするのか、
ここへちょろちょろ入れるとどうなるんだろう
入れる場所がこっちからだとどうかな
高いところから入れるとどうなるんだろう
そう言うところをものすごく観てます。
そういう観察の結果もたくさんあつめてます。
模様を出す段階での手順のシュミレーションは
さっき言ったように、でき上がりからの逆回しなんですよ。
たまに、カット面のイメージが「お花畑に青い空に白い雲」 とか「赤い花と黄色い花が風に揺れていて、日がさしてるような」 とかおっしゃってドキドキです(笑)
その出来上がりをイメージをして、パラパラ漫画を、後ろからめくる感じでイメージして始めのページから始めます。
うまくたとえられないけれどそんな感じ。(どんなや!!笑)
教室でみなさんにアドバイスするときも、パラパラ漫画の途中のひとコマのようなものを 紙に書いて説明することがよくあります。
私の手ではない手で型入れをするので、必死で説明です。
なので、普段から、型入れの時のタネの様子などを
よく観察してみるといいと思います。
あと、模様のパターンとしては
“重なる” は 同じ場所に入れる だし
“ただよう”は ずれていれる だし
あと、どんなかんじですかね。
ゆれるとか ・・・?
たおさんが講座でされていた
ファンネルスワールも素敵なマーブルに仕上がりますよね。あのタネの動きがマーブルの基本ですよね。フェンネルスワールをやってみて、じっくり観察するといろんな答えが見えてくるのではないでしょうか。
マーブル模様の話(5)へ続く
マーブル模様の話(5)へ続く
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ダイアログ
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