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Sunday, April 01, 2001

Topic of the Month 2001年4月

4月のトピック「たお式よい石けんの作り方」


はじめに・・・
ちょっと時間ができました。心のゆとりもできました。久々に矢野顕子でも聴きながら・・・
今月はよい石けんの作り方。でも「よい石けん」ってなんだ?そう、そんなのは主観的なことです。だから「たお式」。私の思うよい石けんを好き勝手に独裁的にバシバシ主張して書きます!これを読んで疑問を持って頂いて結構です。賛成論も反対論も大歓迎。今月のトピックをきっかけに自分のレシピや石けんについて考えて頂ければ、それだけでうれしゅうございます。


よい石けんの作り方その1「よい石けんは石けんであることが前提」
石けんは使うもの、洗うもの。これが大前提です。私は洗うことを放棄したような石けんは好きではありません。もちろん見るための石けんもあるでしょう。嗅ぐための石けんもあるでしょう。集めるための石けんもあるでしょう。石けんという創作を広げていくときに機能以外の個性を石けんに取り込むことはとてもおもしろいと思います。道具の機能を廃止したときに芸術的おもしろさが生まれる、と言うアーティストの知人もいます。しかしわたくし職人としては、使うことを第一に考えて石けんを作ります。お菓子でもない、キャンドルでもない、パッチワークでもない、インスタレーションでもない、石けんが料理やその他のクラフト・アートと一番違う部分は「洗う」という役割を持っていることです。まずはここをしっかり作らにゃよい石けんにはならない!
では使うのによい石けんとは何でしょう?私は以下のような点がよい石けんを作る要素だと思っています。
(1)汚れを落す力がある。肌が健康でいられる範囲内で汚れを落す。過剰に保湿を与えることで肌を甘やかしたり、皮脂を取りすぎて肌の働きに負担をかける石けんはこれにあてはまらない。
(2)溶けにくい。固さがある。長持ちする。大切に長く使えるものがよい。すぐに溶けてなくなると水を必要以上に汚す。
(3)泡立ちがよい。流れるような泡は目に入って痛いっ。泡立ち=洗浄ではないけれど、心理的に泡立ちは必要であり、使用量を左右するように思う。泡立ちが弱いと、泡を立てるために必要以上に石けんをすり減らす場合が多い(泡をたくさん立てるのは男性に多いと思うのは私の偏見かな?)。大切に長く使ってもらうためには、泡立ちのよい石けんの方がよい。
(4)使いやすい大きさ。手にもちやすい形。すぐになくならない大きさ。
(5)使ったときの香り。石けんの香りは鼻にくっつけたときの香りではなく、実際に使っているときに香りを楽しめる石けんがよい。香りは独立して主張するものではなく、素材を引き立てるもの。素材の香りがよいときは無香にする。洗うものなので清潔感がある方がよい。
以上、とっても偏見に満ちているでしょうが、これらが私が考えるよい石けんの基本条件です。
よい石けんの作り方その2「溶けにくい石けん」
手づくり石けんが市販の石けんより劣る部分があるとすれば、それは水に溶けやすいことだと思います。石けん分をぎゅうぎゅうプレスして作るのと違い、手づくり石けんは始めから水分を含みますからより水に溶けやすい感じがします。余談ですが、手づくり石けんは水分を含んでいるため市販の石けんに比べ大きさの割に軽いのが特徴です。別の言い方をすれば、同じ100gの石けんなら手づくり石けんの方が大きいということです(水分の蒸発具合にもよりますが)。
水に溶けるのが早いと石けんがすぐになくなります。これをできる限りふせぐためには固くて溶けにくい石けんを作る必要があります。しかし固い=溶けにくいではありません。ココナツオイル主流の石けんは固くても水に溶けやすい性質を持っています固くて長持ちするためには、パームオイルまたはラードや牛脂を入れてあげるのが一番よい方法だと思います。みつろうやステアリン酸を使うこともできますが、これは固くする以外になんの役割も持ちません。それに比べパーム、ラード、牛脂には保湿効果のあるオレイン酸も含まれています。同じ固さを出すのなら、後者の方がよい石けんができると思いませんか?私はみつろうやステアリン酸を石けん作りに使うことがありません。このふたつはクリーム作りに使った方が活躍できると思います。


よい石けんの作り方3「ソフトオイル100%vsバランス配合石けん」
私はいわゆる「100%石けん」は作りません。ここでいう100%はソフトオイル100%を差します。ここでは100%系を試す理由を逆の立場になって考え、その下に私が100%系を作らない理由を書きます。
100%の理由(1):オイルの使用感を知るために100%系を作る。
ソフトオイルの脂肪酸の構成はオレイン酸、リノール酸など保湿感を出すものがほとんどです。これはどのソフトオイルでも基本的に同じです。脂肪酸以外のもので違いを見るのなら、不鹸化物(=鹸化しないもの)でビタミンの種類が違ったりしますが、ソフトオイルの大きな違いは軽いか重いか、ということだと思います。これは100%系石けんを作らなくても肌に直接塗ればわかります。軽いオイルはすーっと肌になじみ浸透性が高く、重いオイルは肌に肌に厚い膜をはるような感じがあります。軽いオイルはあっさりめの石けんになり、重いオイルは保湿感のある石けんになります。石けんはオイルからできます。石けんの使用感を知りたければオイルの特性を知ることですよね。だったらオイルをそのまま感じた方がその特性がわかるのではないでしょうか?また石けんを通してソフトオイルの個性を知るためには、そのオイルそのものの個性ばかりでなく、他のオイルとの相性も知る必要があると思います。100%系石けんでそれを知ることは不可能です。例えばココナツオイルの泡立ちをどうきめ細かくするのか、というような個性は絶対に100%ではわかりません。オイルの使用感を知るには、そのまま肌に塗るかまたは配合してみて相性をみるほうが個性がわかりやすいと私は思います。
100%の理由(2):保湿感があるから100%系を作る。
ソフトオイル100%で作った石けん全てに共通することは、保湿感があることです。これは上記にも書いたように保湿成分ばかりを含んでいるからです。だけどもうひとつ共通して言えることは、柔らかいまたは溶け崩れしやすいことです。つまり保湿成分ばかりで石けんを固くする成分が入ってないからです。水に溶けやすい石けんは水を必要以上に汚すし、石けんの消費も早くなる。私にとってよい石けんとは、大切に長く使える石けんです。そのためには バランスよく固さを出した溶け崩れにくい石けんを作ることが大切だと思っています。私は石けんを保湿剤だと思いません。だから保湿は適度に入れるのが理想だと思っています。例えば、ソフトオイルを40%加えることで保湿感が出るとします。仮に60%を100%に変えたとしたら、本当に40%分の保湿感が増すのでしょうか?私はそうは思いません。ある程度までソフトオイルを増やすと保湿度の大きな差があると思いますが、ある一定ラインを超えるとそれ以上はそんなに大きな差がないと思います。極端な例をあげると、私は以前パームを80%、ココナツ20%、ソフトオイルでスーパーファットという石けんを作ったことがあります。この石けんが非常にしっとりすると多くの友人に言われびっくりしたことがあります。そしてその理由を考えたときに、人間が感じとれる保湿感には適量というのがあるのではないかと思いました。過剰に入れることでよいものの無駄使いはしたくないと思うようになりました。またオイルの保湿度を知りたいならベーシックなレシピをひとつ決め、スーパーファットで足した石けんの違いをみた方が100%系よりもわかりやすいと思います。
100%で実験をするのは非常におもしろいと思います。しかし(私の思うところの)よい石けんを作るなら100%よりバランス配合です。石けんは保湿剤ではありません。石けんは洗うものです。消費するものです。よい素材を無駄無く利用するには、適量というのがあると思います。そしてその適量はソフトオイル100%ではない、と私は思っています。
よい石けんの作り方4「よくない石けん?」
上の3つと矛盾するかもしれませんが、よくない石けんというのはないと思います。上記の条件に満たない石けんはよくない石けんなのかというと全然そんなことはありません。私はいろんな方からお手製の石けんを頂きます。ファーストバッチから実験石けんまで実にさまざまな石けんを頂きます。自分のも作ったのは全部試して使います。ときには失敗バッチも作ります。失敗バッチはどうにかこうにか使えるようにします。本当にいろいろな石けんを使いましたが、よくない石けんというのは使ったことがありません。むしろ失敗バッチですら、使ったら意外とよかったりします。自作石けんだと、泡立ちや固さ、香りなどついつい頭でチェックしながら石けんを使ってしまいがちです。だけどただ普通に石けんを使い楽しむことが一番石けんの良さを感じられると思うようになりました。洗うこと、使うことを目的に作った石けんはやはり普通に洗って使ってあげるのが一番よいのだなーと思います。
あ、でもワックスブラザーズはダメダメだったの思い出したよー(笑)

最後に・・・
こんな独断と偏見だらけのトピック大丈夫かなー。書く前にすごく悩みました。予想通り情報提供というよりエッセイに近くなってしまった(反省)。でも自分が日頃思っていることをたまには書いてみようかな、とちょっと勇気を出して書いてみたよ。何度も言うけど、私の主張=真理・宇宙万物の法則・答え・正論ではありません。私は自分の得た経験と知識を、個人の偏見というフィルターを通して物を言うフツーの人間です。そしてフツーの人間が受け取り手の意識に息を吹き込めたら、とささやかながら主張してみたのが今回のトピックです。