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Tuesday, March 17, 2009

バイリンガルのはなし

先日、コドモの学校のオープンハウスに行ったときのこと。9月から担任になる予定の先生に、うちのコドモは現在日本語のみの環境にいて、ほぼ英語がわからないけれど大丈夫か、日本語を失うことなく、英語を学んでいくために、何か準備できることはないかと尋ねてみました。すると先生は、この年齢は新しい言葉を習うのにパーフェクトな時期だから何も心配いらないと言ってくれました。そして、家では日本語を使っていれば、日本語が消えることもないし、まったく問題ないと。

先生が以前教えていたクラスでは、児童7人が全員が違う言葉を話し、しかも英語を話すのは先生だけだったそうです。それが一年後には、みんなで英語をおしゃべり。先生曰く、この年齢の子供達は"JUST PICK UP"するのだと言ってました。

すごい。なんてシンプル、なんて楽観的な答えでしょう。これまで何冊か日本語で書かれたバイリンガルや継承語としての日本語習得の本を読んでみましたが、どれも脅しとまでは行かないまでも、どちらの言葉も不完全なセミリンガルになるとか、アイデンティティがわからなくなり精神的に不安定になるとか、「大変」「苦労する」「失敗したら後がない」的なニュアンスが感じられ、読むと暗くなってしまいました。日本人のママからは「英語ができない」「英語と日本語が混ざる」「英語を話すようになったら日本語を話さなくなった」「まだひらがなを覚えられない」などなど言葉に関する心配事をよく耳にします。英語社会で英語を学びつつ、日本語を守っていくのは、生半可なことではないというイメージが強く、自分のコドモはどうなるんだろうと、現地の学校に通わせることに抵抗を感じたほどです。

ところがどうでしょう。先生のあっけらかんとしたポジティブな答え!その後数日、じっくり考えてみました。なぜにこうも見方が違うのだろうかと。もしかしたら、日本人のとらえる一般的なバイリンガルとは、青い鳥のようなもので、限りなく理想に近い抽象的なアイディアなのではないかと。学校の先生の場合、幼児の言語を扱っているので、それほど完成度の高い言語レベルを求めていないということもあるのかもしれませんが。それにしても、この違い!もしかしたらバイリンガルの捉え方そのものに、文化的違いがあるのかもしれないと思い、英語で書かれたバイリンガル教育の本を図書館で借りて、読んでみました。まだ読み終わってませんが、やっぱりとても楽観的、すごいポジティブです!バイリンガルはいいですよ。親がモノリンガルでも子供はバイリンガルに育てられますよ。遅すぎるということがありません。二つの言葉をミックスして話しても、それが学習のプロセスだから気にしなくてOK。二つの言葉を同時に学ぶからと言って、言葉の発達が遅れることはありません。二つの言葉が話せることは自信につながり、人格形成にも役立ちます。よい仕事を得られます。etc,etc.といいことがたくさん書いてあります。本を読み進むにつれ、頑張って二カ国語の環境で育てて行こう!という自信すら湧いてくるほどです。


慎重で否定的なニュアンスもある見方。びっくりするほどシンプルでポジティブな見方。どちらが正しいんでしょう?!しばらく考えてみましたが、どちらが正しいということはわかりませんでした。それにどっちが正しいかなんて大切でもないように思ってきました。結局、あまり「バイリンガル」というフレームにこだわる必要はないのかもしれません。発音がどう、語彙がどう、文化がどう、アイデンティティがどう、などと言う前に、人間として話したい・伝えたい・聞きたいという気持ちがあるか、人とのコミュニケーションを楽しめる人であるかということの方が、流暢に話すことより何百倍も大切だと思うのです。何かに興味を持ったり、楽しんだり、真剣に打ち込んだりすれば、自然と言葉はそこについてくるような気がします。大人もそうですが、子供の場合は特にそんな気がするのです。それが先生の言うところの"JUST PICK UP"なのかもしれませんね。